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鹿島海軍航空隊。元は、海軍の安中中隊として発足。1938年5月11日霞ケ浦航空隊安中水上隊へと変わり12月15日開隊。 当初海軍航空隊の中の練習航空隊として、霞ヶ浦湖畔を活用した水上機操縦訓練を行っていたようです。練習航空隊ということで、大戦中も複葉機の練習機「赤とんぼ」がよく飛んでいたようです。 大戦終盤の1945年5月5日、練習航空隊の指定を解除され鹿島北浦派遣隊となり鹿島航空隊と呼ばれるようになったようです。 湖畔の倉庫脇に鹿島海軍航空隊の記念碑があります。 この地は、元日本帝国海軍所属の水上機搭乗員養成基地「鹿島海軍航空隊」があったその一角であり、当時義務教育を終え又は旧制中学途中で志願してきた飛行練習生、大学在学中に志望してきた飛行専修予備学生、海軍兵学校出身の飛行学生等、隊内各兵科の支えを受けながら優秀な「パイロット」を育成していたところである。 昭和13年5月11日開隊後、昭和20年8月15日の終戦まで、特に大東亜戦争に突入後は逐次日本本土防衛の体制に移行し、外部からの襲撃を未然に防御するため、哨戒飛行、索敵飛行、迎撃発進等果敢に防戦に傾注したものの我に利あらず、遂には未帰還機あり、空中戦での戦死傷者あり、果ては特攻隊編成による沖縄周辺に群がる敵艦船に突入戦死、又は地上においても作業中の隊員が機銃掃射を浴び戦死する等、この鹿島空在隊者だけでも数十人に及ぶ尊い犠牲を出したのである。 遅ればせながら我々生存者一同浄財を集め、救国の精神に燃え散華していった英霊に黙祷を捧げ、ご冥福を祈ると共に、この事実を後世に伝承すべく、ここに記念碑を建立するものである。 平成11年5月27日 元鹿島海軍航空隊在隊者一同 他有志一同 碑文より |
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